巻頭言『人はパンだけでいきるのではない』大谷レニー

 家族を養うため、父は大工のアルバイトをし、母は縫い物をしました。夏になると、私たちは黒人と一緒に綿摘みをしました。私は黒人たちが働きながら歌うのを聞くのが好きでした。私は兄とどちらがより多く綿を摘めるかでよく競争しました。「レニー リノート#181」で、自分が立っている真上に雲が移動してきて日影を作って欲しいと願ったと書きました。それに少し付け足せば、綿摘みをするときはとてもお腹が空き、綿畑から帰るやいなや、家の庭で作っている玉ねぎ、ジャガイモ、あるいは人参を引き抜いて、洗いもせずにそのまま生で食べたことがありました。農場に住んでいたころとは違って、いつもお腹が空き、冷たい牛乳も飲めないのが残念でした。

 その後、私が高校生のころ、ABA(アケイディア・バプテスト・アカデミー神学校)で父と一緒に勉強していた牧師が次のような話をしてくれました。ある夜、父はとても落ち込んで、家を飛び出して隣家に行き、もうABAを中退して農場に戻ると宣言しました。どうしたんですかとその人がびっくりして尋ねると、父は、農場にいたころは子どもたちにひもじい思いをさせたことはなかったのに、ここでは、レニーが空腹で寝られず、泣き寝入りしようと泣いていると言いました。父の友人であるその人は、説教者になるために勉強しにここに来ることに決めたそのときのことを思い出せと父に諭しました。彼は、「君の決心は主のためだったのか、それとも自分の子どもたちのためだったのか?」と尋ねたそうです。父は勉強を続けて説教者になりました。

 学んだ教訓:「父は、主が私の日々の糧を与えてくださると信じた」。「主はあなたを飢えさせた。人はパンだけで生きるのではないことをあなたに知らせるためであった」(申命記8章3節)。

  (『レニー・ノート』#215 二〇一四年九月一九日より)