アドベントを迎えました。「待降節」とも呼ばれ、救い主イエス・キリストの誕生を待ち望む時です。「待つ」と言っても「もういくつ寝るとお正月」とカレンダーを見ながら「待つ」のとは違います。聖書の人びとは救い主が生まれる具体的な「その時」を知りませんでした。いつ実現するかわからない中で「神の約束の実現を待ち続けた!」のです。
どのように「待つ」ことがアドベントにふさわしいのか。
例えば「一日一日、主の救いの実現を祈り続ける」ことなのではないかと思います。「主よ、今日あなたの救いがなりますように!」「わたしの上に」「人々の間に」と。
その中で、今朝は十字架において私たちにもたらされた救いの希望、「主のゆるし」に心を合わせたいと思います。
今朝の箇所は、主イエスの逮捕の場面です。なんと兵士たちの先頭に立ってやってきたのは、つい数時間前まで主イエスの傍にいたユダでした。「こちら側」から「あちら側」に移った男。ところがそのユダに向かって主イエスは「友よ」と呼びかけられます。ふつうなら「裏切り者よ」と呼ぶべきところでしょう。ユダはいったいどんな思いで、この主イエスの呼びかけを聴いたのでしょうか。
この主イエスの「友よ」は、今日も十字架から私たち一人ひとりに向けられている呼びかけではないでしょうか。この呼びかけにどう応答の祈りをささげていくのか。アドベントにふさわしい祈りをささげていきたいのです。