巻頭言「食べなさい」加藤 誠

  今月も引き続き「教会」について、聖書から聴きたいと思います。「~なさい」シリーズの第五回「食べなさい」です。

 教会の元気の源、エネルギーの源はなんでしょうか?

 ある牧師の文章にハッとさせられました。「教会の集まりで三人しか集まらなかった時、今日はこれだけしか集まらなかったのかとがっかりした。あの人はどうして休んだのか。せっかく集まるならせめて五、六人はいてほしいなと。でもその時、わたしは『二人または三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいる』(口語訳マタイ18・20)をすっかり忘れていた。この御言葉よりも人数が気になっていたのだ…。」

 

 捕囚によってエルサレムから遠く離れたバビロンに連れてこられたエゼキエルたちは、毎日故郷を想っては嘆き、涙を流していました。しかし、その時、エゼキエルは幻を示されます。捕囚の地ケバル川のほとりで「神の栄光」が自由自在に動き回り、自分たちに語りかける主の言葉を聴くのです。

「人の子よ、口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい。」…それは哀歌と、呻きと、嘆きの言葉であった。「人の子よ、この巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ。」…食べると蜜のように甘かった。(エゼキエル書2・1以降)

 私たちが生きている現実は「哀歌と呻きと嘆き」に満ちています。けれども、その現実は神が祈りを注いでいる場所。枯れた骨(37章)を生き返らせるように神が霊を注がれる場所。「神の祈り、神の霊」を腹に収める時、私たちは「蜜」の味を知るのです。「蜜」は人を元気にして立ちあがらせる力。

 さて私たち教会は何を食べて元気をもらい、立ち上がっていきますか。