巻頭言「若者と生きる教会」大嶋 重徳 

 教会が未完成で途上性を持った次世代への伝道をするときに、その過程で、教会もまた自らの未完成性と途上性を認識させられることになります。若者と共に生きるということは、多くの場合、失敗がつきものです。若者が求める教会への主張に耳を傾けるとき、私たちはその未熟さにあきれ、奉仕を任せることに危うさを感じることでしょう。築き上げてきた教会の歴史と伝統を乱されるような感覚に陥るかもしれません。しかし大切なことは、その時にこそ、教会が決して譲ってはならないものは何か、教会が教会であるために必要なものは何か、という問いを教会自身が考えるということです(後略)。

 教会が若者を見つめ、育てるということは、若者の訓練と成長ということだけではなく、教会が訓練と成長の中を生きるということであり、教会が若者と生きるという決意をするということは、自らが真に終末に生きる存在とされていくということなのです。

 聖霊なる神さまは、教会が終末に至る完成を目指すために、自らと同じく未完成で途上にある若者と共に生きることを通して、終末に生きる健全な教会の形成へと私たちを導いておられます。若者のそばに立って、その失敗を共にしていく若者伝道というのは、教会もまた「未完成」で「途上にある」という終末的な教会理解にわれわれを引き戻してくれる、大切な教会の営みなのです。

    (『若者と共に生きる教会』56~57頁)