巻頭言「若き日のイエス  加藤 誠」

 主イエスが公に宣教活動を始めたのは三十歳ごろだが、それまでは両親のヨセフとマリアの村、ガリラヤのナザレで育った。

 「この人が授かった知恵と…奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」(マルコ6・3)というナザレの村人たちの言葉から分かることは、主イエスには弟と妹が六人以上いて七人兄弟の長男として育ち、父ヨセフの大工の仕事を継いだこと。主イエスが公の活動を始めた頃には父親は亡くなっていたようだということである。

 またもう一つ、主イエスの幼少期の貴重なエピソードを伝えてくれているのが、ルカ二章のエルサレム神殿参りの記事である。

 主イエスが十二歳の時、親族一同で過越祭を祝うために上京した帰り道。長男の姿を見失った両親がエルサレム神殿に戻ってみると、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と息子は答えたのであった(ルカ2・49)。このとき主イエスが神さまのことを「自分の父」と言われたところに大切なポイントがある。が、今回調べていると英語のキングスジェームズ訳では傍線部分が「わたしが、わたしの父のためにやるべきことに従事していると思わなかったのですか」となっていることを知った。確かにギリシャ語の原文でも「家」という単語は使われていない。十二歳の少年イエスが「父の家」という「空間」を意識していたというよりも、「わたしの父のためにやるべきこと」という、神さまからいただいた「召命」を意識していたと理解することができるようだ。

 私たち一人ひとりも「神さまのためにやるべきこと」をいただいている。どんなに若くても、どんなに年老いても。それは何かを聴き続けていきたい。