巻頭言「聖なる者となれ ~欠けある私のままで~」加藤誠

 エジプトを脱出したイスラエルの民が約束の地に入るのになぜ「四十年の荒れ野の旅」を要したのか。聖書によれば、最初の世代はその不信仰の故に神の怒りを買い、死ななければならなかったからです。つまり、イスラエルの民は「新たに生まれ変わること」を求められたのでした。

 その結果「四十年の荒れ野の旅」で彼らは不信仰を克服し「新生」することができたのでしょうか。残念ながら、彼らは相変わらず不信仰のまま、たくさんの欠けを抱えたままでした。では「四十年の旅」は無意味だったのでしょうか。いいえ、彼らは大切なことを「三つ」学んだのです。

 一 自分たちは自らの不信仰を克服しえない、弱く小さき者であること。

二 にもかかわらず、神は深い愛と忍耐をもって共に歩んでくださること。

三 神の深い慈しみにつなげられて初めて自分たちは幸いを生きられること。

 ルワンダで活動している佐々木恵さんは最新の報告で、欠けある私たちが神の深い慈しみにつなげられ生きる祝福と希望について、こう記しています。

「私は常々、ウムチョ・ニャンザの女性たちの言葉には力があると感じてきました。彼女たちが『断絶』ではなく『和解』を、『憎しみ』ではなく『愛』を選び取ってきたその生きざまに『神さまによる愛の力そして希望』を見るからです。そしてその言葉が、聴く人の心に新たな『希望』を与えうると思えるからです。…この女性たちが決して聖人というわけではなく、私と同じような欠けのある存在でありながら、希望の光を指し示し続けてくれていることに、神様から与えられている祝福を感じています。私も欠けのある存在のままで主が用いてくださるということを信じることができるからです。」(ウブムエ62号)。