巻頭言「私たちはどこに立つのか?」加藤誠

 かつての戦争の知る世代の方々が少なくなる中、教会が戦争に協力した歩みを忘れないために藤澤一清先生(一九三五~二〇一八年)の言葉を紹介したい。

 戦争は突然始まったのではない。そこに至るまで数十年もの準備が重ねられていた。…宗教もそうであった。多様な宗派や団体を一つにして、国家の支配下に置き、管理しようとした。そのような試みは明治時代以来続いていたが、戦争直前の一九三九年、「宗教団体法」としてようやく成立したのであった。プロテスタント教会の場合、多種多様な教派や教会は、教団統理者を頂点とする日本基督教団に所属しなければ、宗教団体として認められなくなった。

 太平洋戦争開戦直前の一九四一年六月、多くの教派・教会の代表者が東京に集まり、国民儀礼(君が代斉唱、宮城遥拝、皇国臣民の誓いなど)を伴う総会で、「日本基督教団」が成立した。もちろん参加を拒否した教派・教会も存在したが、なし崩しにされていった。統理者は政府高官に任ぜられ、閣下とよばれることが許された。そして、天皇の祖神である伊勢神宮に参拝し、日本基督教団の成立を報告し、教会の繁栄を祈願した。また、天皇拝謁の機会を与えられ、教会が国家に初めて公認されたかのように喜んだ。教会は天皇に跪いたのである(後略)。

 戦中の教会は戦争体制への協力によって生き延びたし、戦後の教会は外国教会からの膨大な経済援助で潤い、それゆえに戦前・戦中・戦後の加害者としての歴史的責任を自覚もしなければ、負うこともしないまま、ここに至っている。その体質や構造の中でわたしもぬくぬくと生きてきたからである。(藤澤一清遺稿集『にもかかわらず、教会を信じる』二〇二一年より一部抜粋)