巻頭言「神様の御言葉はとても重い!」大谷レニー

 教会に行く途中の陸橋の階段(四十五段)を一歩一歩登りながら、「神様の御言葉は何て重いのだろう」と考えました。毎週水曜日の午後七時半から、IJCSではケイポー・ロード・バプテスト教会の三階で祈祷会を開いています。 

 大谷恵護牧師と私は、IJCSが提供してくれているエメラルドパークというコンドミニアムに住んでいます。身体の調子がよく、それほど暑くない日には約二十分かけて教会まで歩いて行くことがあります。その日は遅刻しそうだったので陸橋の階段を登りました。丁度三十五段まで登った所で、息が切れてしまって少し休む必要がありました。恵護さんが私のバッグを持ってくれると言うのでバッグを手渡しました。すると彼は「うぁっ、重い!」と言いました。私は「もちろんよ、神様の御言葉なんだから!」と言いました。そのバッグには用語索引(コンコーダンス)と共に、一番大きくて一番重い愛用の聖書を入れていたのです。日・英聖書も入れていたらもっと重たかったことでしょう。

 神様の御言葉はとても重いのです。目方だけでなく、サイズも大きいし、語数も、枚数も多いし、さらには内容が豊富で意味が深いのです。神様の御言葉は重いのです。日本語と、英語と、コンコーダンスをもってしても神様の御言葉は理解するのは容易ではありません。パウロはコリントの教会に対して、「今は私たちは一部しか知らない」と言いました。私たちは一部しか知りませんが、神様の御言葉の中には私たちの知らない素晴らしいことがまだまだ沢山秘められているのです。マリアがイエスの教えを聞くために「良い方を選んだ」(ルカ10章42節)ように、皆さんもぜひ日曜日の礼拝と水曜日の祈祷会に参加しませんか。私たちが神様の命の御言葉をさらに深く理解できるように聖霊が私たちを助けてくださいます(ローマ8章26節)

(『レニー・ノート』#12 二〇一〇年七月二日より)