巻頭言「神の御心は「弱さ」を通して 加藤 誠」

 「ゲッセマネの祈り」の場面をどう伝えるかは、福音書記者にとって大きな葛藤を伴うことだったに違いないと、ある注解書が記していた。

 一つは初代教会のリーダーの大失態。ペトロはすぐ直前で殉教の覚悟を口にしながら、わずかの間さえ眠気を我慢できずに情けない姿を露呈している。

 もう一つは十字架を前にした主イエスの姿。当時のユダヤ教文献が伝える殉教者たちは皆恐れることなく最期を遂げているのに対し、悲しみ、迷い、苦悩する主イエスの姿を描くのは大きな躊躇があったはずだというのである。

 しかし、マタイ福音書はこのイエスこそ「インマヌエル(私たちと共に歩む神)」であり、この方を通してこそ神の救いは実現したと証言する。父なる神の前に弱さを隠すことなくさらけだし、「大地に(顔をつけて)ひれ伏し祈り」(岩波訳)、最後は「わたしの思いではなく、あなたの御心がなりますように」と祈られた。その祈りは一回では終わらない。三回繰り返されている。この一晩だけでなくガリラヤのときから主イエスは「人びとの十字架を背負う道」を巡って父なる神と何度も格闘の祈りを重ねながら十字架に向かわれたのだろう。

 だから主イエスは居眠りをしている情けない弟子たちを叱り飛ばすことはしない。「心は燃えても、肉体は弱い私たち」だからこそ、つまりは「生まれながらにして弱さを抱えている私たち」だからこそ、「目を覚ましてしっかり神につながり続けなさい」と諭されたのだ。

 今日三月二一日は、ちょうど六十年前のこの日に、レニー・サンダーソン宣教師が横浜港に到着した日である。「わたしの思いではなく、あなたの御心がなりますように」と繰り返し祈りながら主イエスに従われたレニー先生。その人生に刻まれた神さまの真実の愛を覚えたい。