巻頭言「真夏に歌う平和の賛美 加藤 誠」

「きよしこの夜」は今から約二百年前、オーストリアの小さな村の教会で誕生した。作詞したのはヨゼフ・モール。彼は貧しい裁縫婦の母のもとで育った。父は銃撃手で傭兵として各地の戦地を渡り歩いた男。モールはその顔を知らない。首切人ヨゼフ・ヴォールムートが名義上の洗礼親となり名前を付けたが、首切人は非差別民のため教会への立ち入りが認められず、代理人が洗礼式を見届けたと教会の記録には残っている。教会の司祭の厚意で聖歌隊に入ったモールはやがて神学校に進み司祭となり、ザルツブルグ近郊の小さな村オーベルンドルフ村の助祭をしている時に「きよしこの夜」を作詞した。原詩は六節まであり、日本語版にない省略された三節は次のように神の平和を心から願い歌った賛美であることを日本基督教団川和教会の平良愛香牧師に教えてもらった。

 「しずかな その夜 闇を照らす 天のかがやき 世界に満ちる イエスが生まれた 人のすがたで」「しずかな その夜 神の愛が いまあふれだし すべての民を 強く抱く 兄弟として」「はるか昔の 神の誓い 『この世を二度とほろぼさない』と その約束 響くその夜」(平良愛香 試訳二〇一七)。

 モールが「きよしこの夜」を作詞したのは一般に知られている一八一八年より二年早い一八一六年で、二十年続いたナポレオン戦争がようやく終わった年だった(川端純四郎『さんびかものがたりⅡ』)。戦火の下でフランス、バイエルン、トスカナに次々占領されたオーストリアの民衆は飢えと困窮に苦しみ、ナポレオンのモスクワ遠征に徴用された四千人の若者たちの大部分は生きて帰らず、悲しみの涙で覆われ続けてきた長い戦争からようやく解放された最初のクリスマスに、モールが平和の祈りを込めて作詞した「きよしこの夜」。もしかしたら戦地に散った父を想いながら歌った賛美歌だったのかもしれない。