命あるものは死んだ後どうなるのでしょうか。「肉体が土のチリに返ると同時にすべては無に帰す」という理解がある一方で「肉体が失われても霊魂は残る」「霊魂は別の生命に転生する」などの理解があります。臨死体験の証言から「光のようになる」と語られたりもします。けれども確定的なことは誰も知りません。私たちは死後の世界を見てきたように語ることはできないのです。
ただわたしは「主イエスがこの世界を見られたようにわたしも世界を見て、主イエスが隣り人を見られたようにわたしも隣り人を見て、主イエスが祈られたようにわたしも祈る者とされたい」。そう願うクリスチャンとして「主イエスが死後の世界を信じておられたようにわたしも信じて、今を生きてゆきたい」と思っています。
その意味でルカ二十章の「復活についての問答」は、主イエスが死後の世界をどう理解しておられたかを垣間見ることのできる興味深い箇所です。
主イエスは「次の世」(35節)、つまり肉体の死では終わらない「神の世界」を見ておられます。「神の世界」はこの世の仕組み(例えば婚姻)や価値観がまったくあてはまらない。私たちはこの世を支配している身分の上下や人間的評価、不当なレッテルから解き放たれて「天使と等しい者」「神の子」とされる。そこではアブラハムやイサク、ヤコブなどの大昔の人も「復活にあずかる者」として「神の前に生きている」。そう主イエスは教えてくださいます。私たちは肉体と共に無に帰すのではなく、神に生かされ続けるのです。
わたしは「次の世」を知りませんが、主イエスが「次の世の希望」をはっきり見つめ、この世の風評や権力に惑わされることなく、目の前の隣り人を愛することにすべてを注いでいかれた、その事実でじゅうぶんです。わたしも主イエスが生きられた「復活の希望」を見つめていきたいと願います。