巻頭言「沈んで、知る『救い』 加藤 誠」

 箱根駅伝の第十区で区間最下位に沈み、ゴール後そのまま崩れ落ちた準優勝のS大O君の姿が目に焼き付いている。体調が悪かったのか、重圧ゆえの変調だったのか、O君は途中から明らかに足が動かず苦しそうだった。個人レースなら途中で棄権できただろうに駅伝はそうはいかない。どんなに苦しく逃げ出したくても、仲間から受けた重いタスキを背負い最後まで走り続けたO君の姿が痛々しく見えた。そのO君に箱根駅伝経験のある他大学OBが次のような言葉を送った。「お疲れさまでした。箱根駅伝の優勝が懸かった襷の重さは僕も経験がないので想像もできません。相当なものだったと思います。きっと選ばれた人しかできない貴重な経験ですね。間違いなく今後の陸上人生、O君の人生、仲間たちの人生に活きるはずです。さらに強くなって戻って来た姿を楽しみにしています」。なんと温かいエールだろうか。二十歳か二一歳のO君にとっては二度と思い出したくない耐え難く辛い時間だったろうけれど、同時に心ある先輩たちの温かなエールを学ぶ「人生の宝物」の経験となったのではないか。

 人生には「沈んで、知る『救い』」があるのではないか。

 ペトロは、惨めにも嵐の海に沈んだ(マタイ14章)。主イエスのようになりたいと熱く願い踏み出した海の上だったけれど、ペトロの持ち合わせている信仰は小さく頼りないものだった。彼は海上を吹きすさぶ風に恐れを覚えた途端あえなく嵐の波間に沈んだ。けれども沈みゆく自分の手を力強くつかみ、引き上げる温かい主イエスの手をペトロは知ったのだった。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。ペトロに向けられた叱責の言葉は、しかし優しさを含んでいた。人生には「沈んで、知る『救い』」があるのだ。