巻頭言「東日本大震災 十年を覚えての祈り 加藤  ゆみ子」

 神さま、十年と言う時間を受け止めることができません。

 たしかに海岸には巨大な防潮堤がそびえ、もう海も見えず、海から遠い高台に新しい住宅が建ちました。でもいまだに避難生活を続けている人たちも居ます。失われた命や大切なものは帰りません。福島にはまた春が来て、桜が咲くけど、道を歩けば放射能の数値を示す線量計が「ここはもう危ない場所だ」と知らせるのです。父が、父が、大好きがだった山菜採りもできません。キノコを採りに行けません。

確かに私たちは東日本大震災とあの原発事故からたくさんのことを学びました。そのことがあとの災害の対応に生かされていることも知っています。

でも神さま、あの日、多くの人が心に叫んだだろう、「なんでこんなひどいことが」と。神さまを心に思ったことがある人は叫ばなかったでしょうか。

神さま、なぜですか。ひたむきに生きている者が苦しむのはなぜですか。

でも神さま、あの日、あのドロドロの気仙沼の海岸に、あの泥の中に、うずもれた教会の十字架に、ロープつけて引っ張っている人たちがいた。泥の中から立ち上がってくる十字架を。

神さま、私たちは主の十字架に、十字架にのみ依り頼みます。十字架の主があの災害の中に立ち、今も立ち続けていてくださることを信じます。

十字架で死に、復活してくださったイエスさま。亡くなられた方々に平安を、苦しんでいる方にあなたの手が置かれ、癒してくださいますように。

私たちが何をしていいのか、教えてください。

イエスさまのお名まえによって祈ります。アーメン。

(二〇二一年三月七日東日本大震災を覚える主日礼拝にて)