巻頭言「朝ごとに薪をくべ 加藤 誠 」

 現礼拝堂が献堂されたのが一九五二年一一月二三日。その日以来今日まで六七年九ヶ月の間、一日も欠かすことなくささげられてきた祈りがある。朝六時からの早天祈祷会の祈りである。

大谷恵護先生によると、戦前・戦中・戦後と故大谷松枝先生(初代主任牧師大谷賢二先生お連れ合い)が朝四時に起きて教会員名簿の一人ひとりに指を置いて祈りをささげてこられた早天祈祷に、教会員の有志が加わるようになり、現礼拝堂が建ち上がると同時に「祈祷室」での早天祈祷会が始まったという。以来、大勢の教会員が早天祈祷に参加してきたが、ひときわ長くこの早天祈祷会を支えた方として、田森つるさん、飯島正さん、そして杉田千代子さんの名を記しておきたい。松枝先生が奥多摩(大井教会の伝道所:現青梅あけぼの教会)に移られた後も元旦から毎日、雨の日も嵐の日も「早天祈祷の灯りを消さない」という熱い祈りがこれらの方々によって受け継がれてきたのである。

 私たちの多くは主日ごとにこの礼拝堂に集い、共にささげる礼拝が教会という信仰共同体の大切な礎(いしずえ)となっていることを実感しているが、しかし人々の目に隠れたところで一日も休むことなく神に向かってささげられてきた早天祈祷の力を想う。

「祭壇の上の火は絶やさず燃やし続ける。祭司は朝ごとに薪をくべ、その上に焼き尽くす献げ物を並べ…燃やして煙にする」(レビ記六章五節)。

イスラエルの民はエルサレム神殿が献堂されるはるか昔、荒れ野を旅している時から、幕屋(移動式の礼拝所)において「朝ごと」に絶やすことなく祭壇の火を神にささげ続けた。毎朝新たにささげられる祈りが、イスラエルの民をして苦難の歴史を神と共に歩む原動力となったことを深く心に刻みたい。