イエス・キリストの宣教は、ガリラヤで始まりますが、ここでイザヤ書の預言が成就しました。「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」(イザヤ書9・1)
さて、当時の闇の中を歩む民と言われたガリラヤの人々にとって、イエス様が来られて、何が変わったのか。財政的に潤い、生活水準が良くなったのでしょうか。そうではないようです。イエス様は諸会堂で福音を宣べ伝えただけでなく、あらゆる病気で苦しんでいた人たちをみな癒やされたとあります。しかし、何が「光」だったのでしょうか。「光」とはイエス・キリストの言葉であったと思われます。「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」(ヨハネによる福音書6・63)だとすると、山上の説教はガリラヤの人々を生かす言葉であり、暗闇を照らす光だったのでしょう。
今、平和そうに見える日本でも、暗闇の中を歩む人たちがおられます。最近の新聞記事にあったのですが、ひとり親家庭の41%で夏休みに子どもが一日二食以下で過ごしている。ある親は、子どもを優先にするため、自分は一日一食という方もいるとのこと。夏休みは給食がなく、物価高で苦しんでいる。他にももっとたくさんの暗闇があるでしょう。
そういう方々に「希望の光」を輝かせられるのでしょうか。「光」がキリストの言葉だとすると、それを届けられるのは私たち「教会」なのでしょう。きっと主が、聖霊の働きによって私たちを「光」とさせてくださいます。祈りましょう!