巻頭言「救いは主のもとにあり」加藤 誠

 ご両親の介護を長い間してこれらた方が次のように話しておられました。

 昔から自己中心で権威的抑圧的だった父の下の世話をしても感謝の一言もない。その上、親の介護には一切手を出さないのに財産に関しては自分の権利を主張する兄との葛藤。毎日が自分の中に生まれる黒い心との闘いであり、「試されているな」と思う連続だった。しかし、そのような自分が教会につながり、イエスさまにつなげられているからこそ何とか歩むことができました…と。

 詩編三編は「すべての敵の顎を打ち/神に逆らう者の刃を砕いてください」と、自分を苦しめる敵への懲らしめを願う祈りが記されています。いわゆる「復讐の詩編」と分類される詩編の一つであり、イエス・キリストを知る者としては「こんなお祈りしていいの?」と戸惑う詩編の一つです。主イエスは「あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と教えておられるからです。ただ私たちは主イエスの教えどおりに、すぐに心からその祈りをささげられるかというと、正直なところ「できない」のです。

 この詩編三編は、私たちが自分の心に沸き起こる怒りや憎しみや悲しみなどを自分一人で抱え込むのではなく、そのまま神にぶつけて良い。祈りにおいては、神の前に格好をつける必要はない。ただ、祈っているうちに、わたしとその人との間に今日も立っておられる十字架の主に気づかされていく。そして、「救いは主よ、あなたのもとにあります」という告白に導かれていくことを教えている詩編なのかもしれません。十字架の主は、日々の人間関係に葛藤し苦悩する私たちと共にあり、そのようにしか生きられない私たちを神の愛に連れ戻すために来てくださったことを覚えたいのです。