巻頭言「愛あるところに 加藤 誠」

 『愛あるところに神あり』(トルストイ)。今から百五十年前のロシアのお話。靴屋のマルティンは信仰熱心なキリスト教徒で、多くの町の人が靴の修繕を頼むほど、誠実で良心的な仕事ぶりが信頼されていました。ところが彼の妻が病気で亡くなり、男手一人で育て上げた男の子がようやく一人前になる矢先に病死してからというもの、力を落としたマルティンは神に不平を言い始めます。なぜ年寄りの自分の命を召さずに可愛い一人息子の命が奪われたのか。すっかり生きる希望を失ったマルティンは教会に行くことも止めてしまいました。

あるとき、そのマルティンのところに巡礼の老人が訪ねてきます。神を責めるマルティンに老人は言いました。「おまえの言うことは間違っているよ。わしらには神さまの仕事の良し悪しを言う資格はないのじゃ。おまえの息子が死んだのも、お前が生きているのも、みんな神さまの思し召しじゃ。それをおまえが落胆しているのは、おまえが自分だけの喜びのために生きようとしているからじゃよ」。「では、どう生きればよいのですか」。「神さまのためさ、マルティン」。「神さまのため?いったいどうすれば、神さまのために生きることができるようになるんですかね」。「それはキリストさまがちゃんと教えてくださっている。お前は字が読めるじゃろ。福音書を買って読みなさい」。

そのあとマルティンがどうなったかは、トルストイの原作を読んでいただければと思いますが、「私たちは何のために生きているのか」、「何を大切に生きる時、私たちの人生は朽ちることのない喜びに満たされたものになるのか」。飼い葉桶の中に生まれたイエス・キリストはその「大切な核心」を自らの十字架に向かう歩みを通して教えてくださいました。そのキリストから手渡された「愛の灯」を今朝大切に受けていきたいのです。