巻頭言「悪より救い出したまえ 加藤 誠」

 『主の祈り』の第五の祈りは「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」である。それは「私たちは悪の前にほんとうに弱い者なので、悪に取り込まれてしまわないように神さま、どうか助けてください」という、自らの弱さを自覚した者の祈りである。

ここで「こころみ」と訳されている言葉は「試練」とも「誘惑」とも訳すことができる言葉である。「試練」というと厳しくて辛いもの、「誘惑」というと甘美なもののイメージがあるが、どちらも私たちを「神から引き離して道を踏み外させる」ことでは同じである。そして私たち人間を「試練」や「誘惑」において神から引き離そうとするのが「悪魔」(そそのかす者)の働きである。

 「人間の心は天使と悪魔の戦場である」とドストエフスキーは語った。ほんとうにそうだと思う。神は私たちの心を守るために天使を送り、良心を授けてくださるが、私たちの心に悪魔のささやきが聞こえない日はない。それゆえ私たちの心は毎日「天使と悪魔の戦場」になる。

 主イエスも私たちと同じように悪魔と天使とのせめぎ合いを体験された。神の子だから悪魔のどんなそそのかしも通じず、超然としていたのではない。神の子だからこそ悪魔はものすごい力で主イエスを悪に引き込もうと働きかける。「その悪魔と真正面から戦うことなしに、神の国の福音を宣べ伝えることはできない」と心決められて、主イエスは荒れ野に出て行かれたのである。

 主イエスが戦われた「三つのこころみ」は、私たちが日々経験する「こころみ」であり、神の働きを担おうとするときに必ず直面するものである。主イエスが悪魔と戦われた、その背中を見ながら、私たちも自らの弱さを自覚しつつ、神の働きを担う者とされていきたい。