バプテストが産声をあげた17世紀初頭、時のイングランド王は王権を振りかざして国民に対して超えることの許されない一線を越え、人々の魂の自由を縛っていました。それに対してバプテスト教会を開いたトマス・ヘルウィスは、その王に向かって「異端者であるものは異端者に、イスラム教徒はイスラム教徒に、ユダヤ教徒はユダヤ教徒に、それ以外はそれ以外のままとして在らせよ」と嘆願したため、「国家反逆者」のレッテルを貼られ、官憲の監視にさらされることになります。バプテストはそのような「悪しき日」に生きていました。ヘルウィスは、「相手がたとえ王であり、我らを殺す力を持っていても、我々は王に向かって真理を語らねばならない」と、著書の『不法の奥義に関する簡素な申し立て』(A Short Declaration of the Mystery of Iniquity)の「Book 2」に書いています。
今日私たちは、どう見ても「よき日」と呼ぶには遠い時代に生きています。そのような中、どう生きてゆくことが求められているでしょうか。使徒パウロは、悪しき日には「よく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を取りなさい」(エフェソの信徒への手紙6章13節)と書きました。その箇所の小見出しは「悪と戦え」です。イエス・キリストを信じて従う者は「戦うように」と励まされていますが、その「戦い方」は世のそれとは異なり、「神の武具」たる聖書の言葉で戦う戦い方、「力に向かって真理を語る」戦い方です。この深い勧めをご一緒に受け止めて参りましょう。