巻頭言「平和と赦しの息吹を受けて」加藤誠

 「わたしが復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる」(ヨハネ福音書11章25節)。

 主イエスが十字架で殺された時、弟子たちは「すべては終わった」と絶望に叩きのめされたことでしょう。主イエスの呼びかけに応えて従ったすべての時間、注いできた情熱、そこに賭けた希望。すべてが無残に砕け散り、無意味で空虚なものとなったのです。彼らは暗い部屋の中で呆然と座り込み動けなくなっていました。しかし、その弟子たちの真ん中に復活の主イエスが立たれ、彼らに聖霊の息吹を吹き入れて、この世に向けて派遣されます。人びとの間で、十字架の主が成し遂げられた平和と赦しに生かされ歩む者として。

 今日、イースター礼拝で聖歌隊が賛美する「平和の祈り」。この賛美はアッシジの聖フランチェスコの祈りから生まれた賛美です。イースター礼拝に招かれた一人ひとりに託された「平和の祈り」を受けていきたいのです。

 神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

 憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、

 分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、

 誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、

 悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

 慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、

 愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

 わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、

自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。