巻頭言「希望の言葉 ~神の御業に向かって~」加藤 誠

 その昔、「自然災害は神の怒りによるもの」と大真面目で信じられていた時代、「子どもが生まれない」「重い病気を背負って生まれた」のは、神の怒りを引き起こすような罪を親が犯したから…という考えが、根深く人々の間に浸透していました。そのためにどれだけ多くの人びとが深く心を傷つけられ、無用な重荷を背負わされ、悲しみを強いられてきたことでしょうか。

 そのような時代にあって、「(生まれつき目が見えないのは)本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人の上に現れるためである!」(ヨハネ9・3)と言い抜かれた主イエスの言葉は、天と地をひっくり返すような革命的な発言であったと思います。

 さらに主イエスは、「お前は罪の中に生まれた存在でありながら、生意気な口をきくのか」と、盲人を上から見下し差別していた人々の前に立ちはだかり、「自分は見えると言い張るあなたがたこそ、実は見えていないのだ!」と厳しく問いかけられたのでした。

 他人の「罪」を周囲が勝手に詮索して決めつけ、その尊厳を深く傷つけるようなことはもう止めよう。そうではなく、神がその人の上に現わされる、神の愛の御業を一緒に見上げて生きていこう。

 主イエスの言葉は、人の心を傷つけ、引き裂く「罪」から私たちを解放し、互いの尊厳を受け止めあう「愛の歩み」に私たちを導く、希望の言葉です。

 「生まれつきの盲人をいやす」(ヨハネ九章)出来事の中に、主イエスが示された「福音」を今朝、共に聴き取っていきましょう。