巻頭言「希望の源なる神」加藤誠

教会先週の特別講演会では、大嶋重徳先生を通して熱いチャレンジをたくさんいただきました。特に大嶋先生を囲んでのランチタイムに参加した若者たちが笑顔いっぱいで、それぞれ身を乗り出して質問したり、感想を届けている姿に接して、この機会を与えて下さった主に心からの感謝があふれました。

 大嶋先生が語られた中で心に留まったのは、主イエスによる「神の国」の完成に向けて、地上の教会は決して完成しない「途上性」と「未完成性」をもつ存在だということ、若者だけでなく年齢を重ねたすべての者に「これから」が備えられているということです。まだまだ変わる可能性を秘めた「これから」、神様に向けて成長していく「これから」に招かれているということです。

 聖書日課では今ちょうどモーセの誕生と召命物語を読んでいますが、ヘブライ人でありながらエジプトの王女に拾われ育てられたモーセは成人後、殺人のかどでエジプトを追われて荒れ野に逃げます。そこでミディアンの遊牧民に受け入れられ所帯を持つのですが、モーセの心は虚ろでした。彼は自分を「異国にいる寄留者(通り過ぎる者)」と表現しています。エジプト人でもヘブライ人でもなく、ミディアン人にも成りきれない自分が根を下ろして生きるべき場所を見つけられずにいたのです。そのモーセが主なる神から「お前にしてほしい大切な仕事がある!」と召命を受けたのは八十歳の時です(使徒言行録七章参照)。。モーセは、どこにも居場所を持ち得ず、さすらい人でしかない自分に何ができるのですか。「自分はいったい何者でしょう」と断ります。しかし何もできない自らの小ささを知るモーセをこそ、主なる神は必要とされ用いられたのです。モーセの「これから」は八十歳にして始まったのでした。