巻頭言「希望の光  ~イースターの朝、世界に射し込んだ光~ 加藤 誠」

 主イエスが十字架で処刑された時、弟子たちが一番打ちのめされたのは、「神の子」が殺されたのに何の天変地異が起こるわけでもなく、いつものように陽が沈み、次の朝には陽が昇ったことではなかったか。愛と正義に生きた真実の方があらゆる侮辱を受けて悲惨な最期を遂げた。こんな不正義がまかり通る世界を神はこのまま放置されるのか、いったい神は何をしているのか?…と。

 そして最初のイースターの日も、いつものように陽が昇り、いつものように一日が始まった。ローマ帝国がイスラエルに君臨し、宗教家たちは支配階級に都合の良い教えを説き、貧しい民は重税に苦しみ続けている。前日から一ミリたりとも変わらない世界の現実。

 けれども、主イエスの墓をふさいでいた大きな石が転がされ、遺体に香油を塗るために墓に来た女性たちの働きは不要となり、エルサレムから失意に満ちてエマオの村に向かって歩いていた二人の弟子は、喜びにあふれてエルサレムに戻っていったのだった。

 世界の中ではほんの小さなからし種のような変化ではあったけれど、イースターの「希望の光」を受けた人びとの歩む方向は、百八十度ひっくりかえされて「神の国」に向かう歩みに変えられていったのだ。

 やがて、そのからし種は大きく枝を張り、空の鳥を宿すほどに成長していった。たかがからし種、されどからし種。この世界がどんなに暗闇に覆われても、イエス・キリストという「窓」から射し込む光が、人びとの心を、人びとの顔を「希望の光」で照らし続けている。

 私たちもまたこの「希望の光」に照らされて歩んでいこう。