巻頭言「希 望」岡田 有右(那覇新都心キリスト教会)

 辺野古に、新基地建設が強行されている。建設が決まってから二七年。希少種の生物とサンゴが生息する自然豊かな大浦湾に土砂が投入。土砂は本部半島から運ばれている。いくつもの山が削られ風景が一変。(中略)採取することになった沖縄南部は、沖縄戦の激戦地で、住民や日米兵士・強制連行された朝鮮半島の人々・台湾・中国など多くの死者の遺骨が眠っている。その遺骨を再び海の底に沈め、戦争の道具にしようとする(中略)。

 土の中から、犠牲にされていった民衆の遺骨が神に向かって叫んでいる。主が一人ひとりに「生きよ」と命を吹き込まれた遺骨が、土の中から解放を求めて叫んでいる。日本がどこに行こうとしているのか。沖縄から日本が見える。神が問われる、「捨て石にされた者の声に、耳を傾けた者がいるか」。

 辺野古で、「命の海を埋め立てて、基地を造らないで欲しい」と座り込んでいたおじいが天に召された。彼は辺野古の海でバプテスマを受けた沖縄戦の体験者。辺野古の海に杭が打ち込まれることは、彼にとって自分の体に杭が打ち込まれる十字架の痛みなのだ。おじいが言う。「戦争・コロナ・災害と絶望の時代をどう生きるのか。しかし、キリスト者には神さまと交わり祈ることのできる特権がある。敵と思っている国や国民が悲しむことを望むのではなく、隣人と隣国と支え合って共に生きる。事柄は暗く厳しい。しかし、そのことで集められた私たちはかけがえのない関係で結ばれる」。

 「平和を実現する人は、幸いである。その人たちは神の子を呼ばれる」(マタイ5・9)。「平和を実現する人々」とは、隣人を大切にし、互いに尊敬しあい、違いを認めつつそれを超えて、共に神の国を目指す人々。ここに絶望の時代を生きる希望がある。(『聖書教育』二〇二三年八月号巻頭言より)