巻頭言「嵐の湖に響く言葉」加藤 誠

 嵐の湖の上を歩く主イエスの姿を見て弟子たちが恐れるというエピソードは、三福音書ではいずれも「五千人の供食」の後に続いて紹介されています。この話はいったい何を私たちに伝えているのでしょうか。

 どんなに素晴らしい奇跡を目の当たりにして神賛美に導かれたとしても、次の瞬間に私たちは「恐れ、戸惑い、叫び始める!」。私たちの信仰はそれほどに「小さく、薄く、もろいものだ」ということではないでしょうか。

 人は恐れます。身の危険を感じたり、自分の理解を超えるものと出会ったり、あるいは自分には荷が重すぎる仕事を委ねられた時などに…。

「岩の上に家を建てよ!」という主の言葉に「そうありたい」と思いながらも、「なんともろい土台の上なのだろう」と毎回反省の繰り返しの自分がいます。

 聖書を開くと、みんな「恐れるな!」と呼びかけられています。

 アブラハムもハガルも、ヤコブもヨシュアも、ギデオンもダビデも、エレミヤもザカリアも、マリアも羊飼いたちも、そして主イエスの弟子たちも。

 みんな恐れ、腰が砕け、腰が引けてしまう。そういう意味では「恐れること」自体は恥ずかしいことではないのです。私たちは「恐れる」のです。その嵐の中で誰の声を聴いていくかが問われるのです。主イエスは「恐れることはない。わたしだ」という言葉を携えて私たちの間を生きてくださいました。「わたしだ」という言葉は「わたしはある」という意味でもあります。

「ここに、あなたと共に、わたしはある!」

 十字架は、このインマヌエルの主の臨在の確かなしるしです。この方に愛と力と励ましをいただいて、主の日からの一週間を歩んでいきましょう。