巻頭言「天に名が記されている喜び」加藤誠

 キリストの教会が託されている第一の使命。それは「神の国を宣べ伝える」ことです。

 主イエスの宣教の第一声は「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」でした。「神の国」とは「神の愛」のこと、「近づいた」とは「突入してきている」の意味で、「悔い改めて」は「反省しなさい」ではなく「あなたの心と体の向きを方向転換して、しっかり神の愛に向けて」の意味。つまり、神の愛は確かにあなたの人生の只中に届けられている。その愛をしっかり受け取り、分かち合っていきなさい」ということです。

 その主イエスが弟子たちを宣教に遣わす際、「神の国を宣べ伝え、病気を癒しなさい」と言われました。「病気の癒し」はあくまでも神の愛に押し出された業であり、神の国を宣べ伝えることのない、単なる癒しは意味がないのです。

 ある牧師がこんな意味のことを語っていました。「肝臓が悪い人は肝臓が悪くない人のことをうらやましく思うだろうが、肝臓が元気だから毎日が喜びにあふれている人に自分は会ったことがない。どんなに内臓が元気でも、その人が生きる目的を見出していなければ、そこに喜びはない。生物としての人間の生命は日々死に向かっている。ある時期までは日々強くなるが、ある時期を境に日々弱くなり、だんだん何もできなくなる。最後は一握りの灰である。その生命を生理的にただ長生きさせるだけでは意味がない。神の国の福音のもとで初めて人は、与えられた命を最後まで幸いに生きることができるのだ」と。

 この世界になかなか神の国、神の愛を見出すことができずに苦悶している私たちの間に主イエスは生きてくださり、「ここに愛がある!」と神の愛を手渡してくださいました。この神の愛をしっかりと受け取り、分かち合っていきたいのです。