エルサレム神殿で暴徒と化した群衆に取り囲まれたパウロは、ローマの千人隊長の介入で命拾いをしたものの、ユダヤ最高法院の尋問を受けることになります。かつてユダヤ教のエリート候補生だったパウロ。その時には、いつか長い衣を着て人びとから敬意を集め、最高法院の議員席に座る自分を夢見たのかもしれません。しかしこのときパウロは、議員席ではなく、尋問を受ける身として手足を縛られ、議会の真ん中に立たされたのでした。
人は危機に直面したとき、その人が何を土台にしているかがあらわになります。このときのパウロが実に落ち着いて(主イエスもそうであったように)最高法院の真ん中に立っているのに対し、議員たちの立ち方はどこかフワフワしているように見えます。パウロが神から与えられた良心を土台にしているのに対し、議員たちは打算、忖度、名誉心や党派心など、人間的な思いを土台にしているからではないでしょうか。
その夜、主はパウロの傍に立ち、「勇気を出せ!ローマでも証しをしなければならない!」とパウロを励まします。夜は、私たちが不安と恐れの中に孤独を感じるときです。大きな危機や課題を前にした夜、心の中に飛び交うさまざまな声に、私たちは揺さぶられます。不安や恐れにさいなまれる自分をどうコントロールしたらよいのか、分からなくなります。しかし、その「夜の闇の中に」主は共におられる。そして御自身が与える使命に、私たちを励まし、立たせていかれるのです。
私たちが依って立つべき土台は何でしょうか。
私たちが夜に聴くべき声は誰の声でしょうか。