映画『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』が、アドベントを迎えたこの時、上映されています。
ボンヘッファー牧師はヒトラーへの抵抗運動に身を投じ、一九四五年に三九歳の若さで絞首刑に処されました。教会の指導者たちが次々にヒトラー賛美になびき、ユダヤ人を敵視した虐殺が公然と行われていく中、ボンヘッファーは「キリストのみを主と告白する教会」の指導者として抵抗運動の先頭に立ちます。聖書の平和を説く牧師がなぜヒトラー暗殺計画に加わったのか。「暴走する車に子どもたちが轢かれようとしているときに、誰かが車を止めなければならない」。映画では、ナチスを前に決然と御言葉を語る姿と同時に、ひとり獄中でうずくまり主の名を呼び求めて祈る姿と、強さと弱さ両方を抱えた人間ボンヘッファーが描かれていましたが、もし自分が同じ時代に生きたなら、聖書のどの言葉を根拠に、どのような生き方を選ぶのかと問われました。
『善き力にわれ囲まれ』(新生讃美歌七三番)はボンヘッファーが獄中で作詞した言葉が歌われています。
善き力にわれ囲まれ/守り慰められて/世の悩み共にわかち/新しい日を
望もう/過ぎた日々の悩み重く/なおのしかかる時も/さわぎ立つ心しず
め/み旨に従いゆく/善き力に守られつつ/来るべき時を待とう/夜も朝
もいつも神は/われらと共にいます
戦後八十年のクリスマスに「世界の平和を祈る」というテーマを与えられました。新たな「戦前」にしないため、各々が過去の歴史に学びつつ、十字架の主の言葉に従う責任を問われています。われらを囲む善き力への信仰を強められて、各々の決心を行動にしていくことができますように。