巻頭言「召し使いたちは知っていた」加藤誠

 先週二二日から受難節(レント)に入りました。今年はヨハネ福音書が伝える主イエスの御業を通して受難節を共に覚えていきたいと願っています。

 ヨハネ福音書の「最初のしるし」はカナの婚礼(二章)においてあらわされました。婚礼の席でぶどう酒が足りなくなる危機を、主イエスが水をぶどう酒に変える奇跡をもって助けてくださったのです。しかしながら、なぜこの奇跡が「イエスがキリストである」と証しする「最初のしるし」なのでしょうか。

 わたしはこの婚礼において、主イエスがユダヤ教の「清めの水」を「最良のぶどう酒」に変えられた点にこそ、主イエス福音の御業を指し示す深い意味が隠されていると受け止めています。ユダヤ教の「清めの水」は神の前に「清いもの」と「ケガレたもの」を分かつ働きをしていました。そのためにある人びとは「ケガレた者は神の前にふさわしくない!」と祝宴から排除されていたのです。けれども主イエスはそのような分断をつくりだしていた「清めの水」を「もう不要だ!」と廃棄された。代わりに主イエスが準備されたのは「最良のぶどう酒」=「十字架の神の愛」でした。つまり主イエスはこれまで「清い者」しか参加できなかった婚礼の食卓を、「神の愛」を分かち合いたいと思う者は誰もが参加できる、喜びあふれた神の国の食卓に変えられたのです。

 興味深いことに、この婚礼の主役の新郎新婦をはじめお客たちはこの奇跡をなされた方が誰かを知りません。主イエスはすべてのことを表舞台からは見えない裏方で成し遂げられたからです。そしてその主イエスの言葉に忠実に従った召し使いたちだけが、「すべては主イエスの御業」であることを知っていました。そして後に、この「最初のしるし」の大切な証人となったのです。