スチュワードシップ月間「主の恵みに応えて~ささげる」を覚えて、三回の主日にわたって聖書から聴き、また証しを受けていきます。今回のテーマや聖書箇所を考えてくださった委員のメンバーに感謝します。
「献金」というテーマで与えられた聖書箇所を私訳してみました。新共同訳で「惜しんでわずかしか」とか「惜しまず豊かに」と訳されている言葉は直訳すると少しニュアンスが違って聞こえてきます。また八節には「あらゆる」という言葉が五回も重ねられていて、心に迫ってくるものがあります。
「つまり、わずかしか蒔かない者はわずかしか収穫できないし、祝福して蒔く者は祝福のうちに収穫するだろう。各自、自ら心で決めたとおりにするがよい。苦痛や強制によらずに。神は、喜んで与える者を愛したもう。神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与えることができる。だから、あなたがたはあらゆる点で、あらゆる時に、あらゆる満たしを得て、あらゆる善き業に向かい、豊かになることができる。」(第二コリント9・6~8 私訳)
「神は、喜んで与える者を愛したもう」とは、神の愛する条件が語られているのではありません。神の愛は私たちの業に先だって、いつでも豊かに注がれているからです。それゆえ、私たちが神の愛に応えて「祝福して蒔き」「喜んで与える」ときに経験する神の豊かな恵みの幸いが語られているのです。
正直なところ、私たちの中には「惜しむ心」がいつもあります。けれど「先立つ神の愛と恵み」への信頼が大きくなる時、「惜しむ心」は小さくされていきます。「先立つ神の愛と恵み」にしっかり目を注いでいきましょう。