巻頭言「信じなさい」加藤 誠

 スチュワードシップ月間の主日礼拝を通していただいた恵みを感謝します。友の言葉の証しや賛美の証しを通して、共に聖書に聴き語り合うことを通して、たくさんの励ましを受けました。「自分一人では神を礼拝できない小さな信仰のわたし」が「教会」という主イエスの交わりにつなげられて、「共に礼拝をささげる恵み」を深く覚える一か月となりました。

 さて、今月は「教会」について聖書から聴いていきたく思います。

 教会は「どういう集まり」なのでしょうか。教会のいろいろな働きの中で「これを失ったら教会でなくなってしまう第一の働き」はなんなのでしょうか。

 教会に関するいろいろな問いについて、聖書に聴いていきたいのです。

 主イエスは、主なる神から託された働きを自分ひとりで担うことをされませんでした。一緒に歩む「友」(ヨハネ15・14)を求められました。

 弟子たちは約三年間、主イエスと寝食を共にして、その人となりについてはかなり理解できたことだろうと想像します。それでも主イエスが語る「神の国の福音」には最初から最後まで驚かされっぱなしでした。主イエスが語る「神の愛」はあまりにスケールが大きく、恵み深いものだったからです。

 十字架につけられる直前、その弟子たちに主イエスが遺言のように語られたのが「信じなさい」(ヨハネ14・11)でした。主イエスの語ることを「分かれ」「理解しろ」ではなく、主イエスが父なる神と共におられることを「信じなさい」と語りかけられたのです。

 「分かる」のではなく「信じる」。最後の晩に「信じなさい」と弟子たちに優しく語られた主イエスの言葉に、今朝も聴いていきましょう。