十字架上で主イエスは「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈られました(ルカ23・34)。
私たちは自分のしていることのほんとうの意味を知りません。
イエスをローマ総督に突き出した長老たちは聖書の律法を守るための正義を確信していたし、「バラバを釈放してイエスを十字架に!」と叫んだ人々は長老たちの正しさを疑いもしなかったし、イエスの手足に釘を打ちつけたローマ兵たちは上官の命令に従っただけと考えていました。それぞれ「正しく、忠実で、従順であろうとした」のです。
自分を正当化し、他者の責任にし、自らの罪を誤魔化して生きる。そういう私たちの間で、私たちの罪(弱さ、卑怯さ、愚かさ)をすべて引き受け祈られた神の御子の救いを覚えつつ、今日からの受難週、聖書を開き「何をしているのか知らない私たち」に語りかけられている主の言葉を聴きたいのです。
受難週のための聖書日課
二八日(日)ヤコブとヨハネの願い マタイ20・20~28 詩編8編
二九日(月)神殿から商人を追い出す マタイ21・12~17 詩編12編
三〇日(火)ぶどう園と農夫のたとえ マタイ21・33~42 詩編25編
三一日(水)エルサレムのために嘆く マタイ23・37~39 詩編31編
四月一日(木) ペトロの離反予告 マタイ26・31~35 詩編51編
二日(金) 十字架につけられる マタイ27・1~56 詩編22編
三日(土) 墓に葬られる マタイ27・57~66 詩編57編
四日(日) 復活する マタイ28・1~10 詩編46編