巻頭言「人知を超える神の平和 加藤 誠」

 教会の桜が色づき始め、毎日少しずつ落ち葉を掃き集める季節になった。いつも思うのは、落ち葉の色や形は個性豊かで一つとして同じものはないこと。「深く色づいたら落ちる」というものでもなく、まだ緑がたくさんあるのに落葉するものも多い。そのように落ちる時期も、色合いもさまざまである落ち葉を見ていると、人間一人ひとりの人生と重なるものを感じる。

 友松洋美さんが急逝された。肺炎を患い、検査と治療を兼ねての入院で、ご本人はすぐ帰宅するつもりでいた中での急性心不全で担当医も予期できなかったようだ。棺に納められた友松さんは年齢に比べると若々しく、呼びかければすぐにも起き上がって元気に動き出しそうな感じさえした。私たちにとっては何の心の準備もできないままでの突然のお別れであり、言葉が見つからない。しかし、このお別れも命の造り主なる神さまの御配剤。「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書3・11口語訳)。今は受け止められず理解ができないお別れでも、必ず神さまがその深い慈しみをみせてくださる時が来ることを信じ、友松さんを神さまの御手に委ねたい。

 その友松さんの愛唱聖句がフィリピ4・6~7であった。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」

友松さんがどんな祈りや願いを神に打ち明けながら歩まれたのかは知りえないけれど、一つだけ確かなことは、十字架の主が友松さんの叫びも歓喜も苦悩も戸惑いもすべて引き受けてくださり、彼女の十字架を背負い、人知を超える平和をもって最期まで共に歩み通してくださったこと。その主を賛美したい。