巻頭言「人のものは人へ、神のものは神へ 広木 愛」

 信教の自由を守る日を迎えて、今生きている場所で信仰をいただくことの意味をもう一度考える時間を持ちました。大和という文化の中どっぷり生きる私が、日本という国でキリストを主と告白し、その働きにつかえることは、別に簡単なことだと思っていました。生まれて大和の文化の中で、聖書と出会ったのだから、大和文化と聖書の融合なんて簡単だし、キリスト者として日本という国で生きる意味はなんだろうか、教会がおかれている土地で生きる意味とはなんだろうか・・なんて考えようとも思いませんでした。でも、沖縄で福音に生きる人たちと出会ってからその考えは変わっていきました。

沖縄という地に建てられている教会は、これまでの歴史を通して、今置かれている場所から福音に聞いている。聖書から大切にされるべきは、命が大切にされるべきとメッセージをいただいた人たちが、毎週普天間飛行場のゲート前でゴスペルを歌い続けています。普天間飛行場のゲート前でゴスペルを歌い続けても、状況が変わったということはありません。逆に、どんどん悪化してきているようにも思います。それでも歌い続ける。

神さまから託された仕事は一生懸命する。誠実に仕える。その先に何が起こるかは・・神さまの領域で、神さまのご支配の事柄。

集まれないからしようがない・・と狭くなっていく主の働きを見過ごすのではなくて、どうすれば、神さまの働きを狭めることなく、わたしたちがなしていくことができるのか、期待して共に祈りましょう。その祈りの先に何があるのか、それは神さましかご存じではありませんが、私たちができることと神さましかできないこと、両方に目を向けながら、年度末に向けて歩んでいきたいと願っています。