1931年伝道開始、日本バプテスト連盟に加盟するプロテスタント教会です

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あけぼの幼稚園
メッセージ

巻頭言「人にはできないが、神にはできる」加藤 誠

 主イエスが語られた「神の国」とはいったいどのようなところなのか。

 マルコ10章13節以下は、主イエスの所に来た「親に連れられた子どもたち」と「金持ちの男」の姿を通して「神の国」を鮮やかに浮かび上がらせています。

 前者は一人では何もできない小さな者。後者は何でもできる金持ちで、戒めは全部守ってきたと胸を張っている者。前者は「神の国に入っている」と祝福されているのに対して、後者は「神の国」を前に悲しそうに立ち去っていく。

 「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(15節)と語られているように、「神の国」は「人が努力して功徳を積んで入るところ」ではなく、「招待を感謝し受け入れ喜んでいくところ」のようです。

 

 ある実話に基づくエピソードを聞きました。ある会社の最終面接に残った人が会社から送られたファーストクラスで面接に向かう機上、自分の隣に座ったホームレス状の女性に「どうして俺がこんな奴の隣に座らなければならないのだ」と怒りだした。すると通路を挟んだ隣りの席の女性(この人も最終面接に残った人)が「あなたはここに座る権利のある人よ、大丈夫」と、盾になってその男性から守った。実はホームレス状の女性は会社の面接官であり、その男性と女性がどういう反応を示すかをテストしていたという話です。

 自分がここに居るのは自分の能力や努力や功績の故ではない。ただ神の深い憐れみと赦しゆえの招待であるとよく知っていて、一緒に招かれた人たちを大切に覚えあう優しさと笑顔があふれているところ。それが主イエスの語る「神の国」なのです。その「神の国」にふさわしい信仰を求めていきましょう。

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