巻頭言「人からの誉れ、 神からの誉れ」加藤誠

「わたしは人からの誉れは受けない。」

「互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは受けようとしないあなたたちには、どうして信じることが出来ようか。」(ヨハネ5・44) 

 ここで主イエスが厳しい言葉を向けているのは、第一に律法学者たちであったと想像されます。

 彼らは「神からの誉れ」のために身をささげて、日々聖書(旧約)を学んでいた人たちでしたから、この主イエスの言葉は大いに心外だったことでしょう。「俺たちほど神の誉れのために働いている者はいない。ガリラヤくんだりから出てきた若造が何を言うか!」と。けれども律法学者たちは、人々から「先生!」と呼ばれ、いつも「上席」に案内されるのが当たり前の中で、いつのまにか「神からの誉れ」のために働く本分を見失っていたようです。

「人からの誉れ」がすべて「悪」ではないにしても、主イエスはその「危うさ」を見ておられました。例えば五千人を満腹させた奇跡を見て、自分を「王」としようとする人びとの熱狂から距離を置いて一人で山に退かれています(ヨハネ6・15)。人間の願望や欲望と結びついた「人からの誉れ」は、「神からの誉れ」とは逆方向に私たちを導くからです。

 今の世界を見ていると、「人からの誉れ」を上手に操る権力者が暴虐と悲惨を生み出しているように思えてなりません。世界の人々が、わたしたち自身が、主イエスのように真摯に「神からの誉れ」を祈りとしていく時、お互いの間に平和がつくり出されていく希望が見えてくるのではないでしょうか。