東日本大震災から十一年。東北地方連合の諸教会は太平洋岸の津波被災地に通い続け、小さな交流を重ねてきた。その様子が連盟の機関紙『バプテスト』三月号の表紙写真で報告されている。
もう六、七年前になるが、「なぜ、被災地に通い続けるのか?」というテーマで東北の教会の人たちと懇談したことがある。「イエス様ならどうされるかなと考えていたら、ここに来ていた」、「ここに、イエス様と出会うために通い続けてきたように思う」という言葉が口々に語られていた。
災害のたびに必ず起こる、支援をめぐる考えの相違がある。
「災害支援を福音伝道のチャンスと捉えて、聖書やトラクトを積極的に配って御言葉を伝える」という考えと、「災害の時は支援に徹する。被災者と信頼関係が生まれて、聖書について尋ねられたら聖書の話をするけれど、災害を福音伝道に利用しない」という考えと。バプテスト連盟は後者の立場で、被災者の方たちが語られる言葉を聴き、その経験を分けてもらう支援方針で歩んできた。被災地に身を置かせてもらい、「もし自分が同じ状況ならどうするだろう」、「自分なら何を信じて何を語ることができるのだろう」と考え続ける。その人が抱えている哀しみと悲しみをやさしく包み、共に歩んでおられる主イエスの姿を探し出していく歩み。「わたしの信じている福音を教えてあげましょう」ではなく、「ここに共におられるイエス様に学ばせてください」という思いで。 主イエスは福音宣教の旅に弟子たちをリクルートした。出かけていく先がたとえ哀しみと悲しみに満ちた場所であったとしても、そこは決して暗闇ではなく、神が共に働かれ、神の光に照らされた場所であることを学んでいく旅に