巻頭言「主の愛に応えて」~スチュワードシップ⑤~ 加藤 誠

 大谷翔平選手が高校生の頃、マンダラチャートに野球選手としての「目標」と「目標のための努力項目」を言葉化して整理していた話は有名ですが、大谷選手の恩師である花巻東高校の佐々木洋監督は「目標と目的という『二つの目』が大切だ」と語っています。残念ながらその理由が語られた文章を見つけられていないので、わたしなりに想像したのは次のようなことです。

 「目標」とは「甲子園に出場する」「レギュラーになる」など具体的に達成したいことがら。「目的」とは「なぜ自分は野球をするのか?」という野球に取り組む意味のこと。「目標」は達成できる時もあれば、達成できない時もある。達成できなければ野球をやったことが無意味になるのか。そうではない。「目標」の達成いかんに関わらず「目的」を明確にすることで、佐々木監督は選手たちに人間的成長の大切さを示そうとしたのではないかと。

 大谷選手と佐々木監督のことを思い巡らしながら、改めてクリスチャンとしてあり方を考えさせられました。わたしは自分のマンダラチャートの「真ん中」に何を書き込んでいるだろうかと。「キリストに従う」と明確に書き込めているか。その目的のために「日々どんなことに心砕いて歩むか」を言葉化して整理できているかと。もし「真ん中」に書き込むべき言葉が不明確なら、クリスチャンとしての歩みも目先のことに一喜一憂するだけで、「なんとなく、ぼんやり」としたものにならざるを得ないのではないでしょうか。

 私たちの救いのために空しくなられた主イエスの「真ん中」には「神の愛を生きる」目的が明確でした。その主イエスの十字架の愛に応えて、自分自身をかけて応答したベタニヤのマリアの信仰に聴いていきましょう。