巻頭言「主の山に、備えあり 加藤 誠」

荒木和子さんが天に召される一週間前の月曜日に緩和ケア施設の病室をお訪ねした時のこと。「荒木さんの愛唱聖句はどの箇所ですか?」と尋ねると間髪入れずに「『主の山に備えあり』です」と、いつものにこやかな笑顔で答えられた。「賛美歌はたくさんあります。その中でも『主にゆるされしこの身をば』です」とも。イザヤ54章10節を読んで祈らせていただくと、「わたしも祈ります」と和子さんが酸素マスクを外して祈り始められた。「神さま、小さく弱い私ですけれど、神様を信じて従い、たくさんの恵みをいただきました。ありがとうございます。皆様のお祈りをありがとうございます。神さまの栄光がほめたたえられますように。アーメン」。呼吸がだいぶ苦しかったと思うのだが、祈り終えられた荒木さんの顔は光輝いていた。神さまの愛をまっすぐに両手いっぱいに受けて歩んでこられた和子さんの信仰がそこに見えるようだった。

 葬儀前日の「お別れの時」、仕事帰りに駆けつけて来られた幼稚園の保護者がおられた。「二年前の荒木先生のバイブルクラスがとても楽しかったんです。荒木先生が私たちのどんな発言や質問も優しく受け止めてくださって、皆さん自由闊達に語り合うことができて、今でもその時のお母さんたちとは大切につながっていて、荒木先生に感謝しています」と。

 三番目のお子さんがあけぼの幼稚園に入るまでは聖書も賛美歌も知らなかったという荒木さん。第一礼拝を通して何度か信仰決心に導かれながらも、なかなかご家族の理解が得られず、十年近く主日礼拝に通い続ける中でいただいたバプテスマ。「バプテスマとはキリスト・イエスに向けて沈められること」(ローマ6・3)との使徒パウロの言葉どおり、キリストの恵みと命にすっぽりと包まれて生かされた一人の信仰者の足あとを大切に心に刻みたい。