巻頭言「三度あることは…」加藤誠

弟子たちにとって「三度目」の復活の主イエスとの出会い(ヨハネ21章)。

 湖に飛び込んでずぶ濡れになった身体が、主イエスの用意された炭火で温められていくのを感じながら、ペトロは主イエスから「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たち以上にわたしを愛しているか」という問いを受けます。

 主イエスもなんとまぁ、鋭い直球をペトロにぶつけられたものだと思います。単に「わたしを愛しているか」ではなく「この人たち以上に、わたしを愛しているか」とは…。この言葉を聞いてペトロは、胸が張り裂けるほど自分の心臓の鼓動が高まるのを覚えたことでしょう。なぜなら彼はあの夜、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしはけっしてつまずきません」(マタイ26・33)と口にしてしまったのですから。あの時、口にした言葉が今や槍のようにペトロの心を突き刺すものとして想い起されたことでしょう。

 あの夜の「三度の否み」に対応するかのように、主イエスは「三度」ペトロを主ご自身の働きに招かれます。この「三度」は何を意味しているのでしょうか。「二度あることは三度ある」、「三度目の正直」と言われるように、「三度目」は勝負の分かれ目です。踏みとどまらなければならないのです。しかしペトロは失敗しました。「三度あることはこれからも繰り返される」。ペトロは、自身の力では四度目を止められないことを自ら証明してしまったのです。しかし、このあとペトロは知ることになります。主イエスが「この人たち以上に」と問われた真意は、「あなたは、この人たち以上に赦されている自分を知っているか」という意味であったことを。なぜなら主は「自分に注がれている赦しを知る者」をこそ、主ご自身の大切な働きに招かれるからです。