辺野古への新基地建設が強行されている。埋め立てる土砂に、本部(もとぶ)のいくつもの山が削られ姿を消している。更に大宜味村から、奄美大島から、そして沖縄戦最後の激戦地で今も多くの遺骨が眠る南部の土砂を搬送しようとしている。遺骨は海底に沈められ、戦争の道具として再び利用される。山が泣き、海が泣き、人が泣いている。辺野古新基地建設は、県民の反対にもかかわらず民意を顧みることなく強行される。二〇二三年には国が全国で初めての代執行の手続きを取り、沖縄の民意を抑えつけた。同年、有志により「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」が立ち上がった。
二九年前の阪神・淡路大震災の時、神戸の街で野宿を余儀なくされている沖縄出身のAさんと出会った。Aさんの遺言のように、沖縄で野宿を余儀なくされている方々を訪ねる「夜回りチーム結」の働きが二三年目を迎えた。話を聞き、その方が生きたい生き方を共に考えたいと願いつつ働きを続けている。毎週木曜日の夕方、ボランティアが教会に集い、おむすびを握り、カップラーメンと温かいお湯を入れたポットを持って那覇の街に出かけていく。沖縄は島の中心部の広大な土地を米軍・自衛隊の基地が占めており、産業が育たない。また沖縄戦による貧困が連線と続いている。
米国から四〇〇発の巡航ミサイル「トマホーク」を購入するという。一発が十億円近い。ミサイルよりも明日への希望をつなぐ今日一個のおむすびが必要だ。夜回りで出会うUさんが言う。「世界中に飢えがなくなれば平和になる。ガザの子どもたちに沖縄の黒糖を届けたい」と。「夜回りチーム結」は「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」の呼びかけ人となっている。標語は「ミサイルよりもおむすびを」。沖縄が大切にする言葉「命どぅ宝」。住民も兵士も殺させてはならない。「沖縄はヤマトを捨てない。ヤマトを再び戦場にさせてはならない」。六月二三日、敗戦後七九回目の沖縄「慰霊の日」を迎える。
(『世の光』二〇二四年六月号より)