巻頭言「ペンテコステの祈り 加藤 誠 」

 先日、教会員のAさんがお嬢さんに車椅子を押してもらいながら教会を訪ねてくださった。Aさんは今年初めに入院されて身体的にかなり弱られたにもかかわらず、病床で「教会の礼拝に行きたい」旨をくり返しご家族に話しておられたようで、お元気に回復されて退院された今、お嬢さんがパソコンをテレビにつないで礼拝の録画配信を一緒に見ておられるとのこと。コロナ禍のためにやむなく始まった礼拝録画の配信だが、このような形でAさんのご家族と教会をつなげることに用いられていると知り、ほんとうにうれしく思った。

 誰もが想像できなかった今回のコロナ禍の中で迎えるペンテコステに、私たちはどのような祈りを神にささげるのだろう。

 二千年前、部屋の中に閉じこもり、神に祈ることしかできなかった小さな者たち。部屋の外には、イエスへの反感に満ちた人びとがあふれている。何を語ったところで「たわごと」と片付けられ、下手すると暴力的制裁を受けるかもしれない恐怖も感じていたことだろう。学識もなく、社会的地位もなく、富もない。社会的に何のパワーも行使しえない小さな者たちが、しかし、イエス・キリストの福音宣教に立ち上がらされていった。「こいつらは、無学なただの人ではないか」と周囲は驚き怪しんだという。神の聖霊の息吹が注がれるところで、ペンテコステの不思議は起こったのだった。

 今、私たちはこのコロナ禍で新礼拝堂建築をどのように考えるべきか、深い迷いの中に歩んでいる。私たちの信仰的未熟さをえぐり出され、砕かれる中にただ聖霊が働いてくださること、そして今のプロセスがキリストにさらに根を下ろし、教会として深く建てあげられていく歩みとなるよう祈りたい。