巻頭言「クリスマス・シーズン」清水 美樹

 今七月後半にクリスマス委員の募集を開始しました。コロナ前の大井教会では、クリスマス委員会の八月活動開始は普通のことだったようです。

 気の早い商店街よりまだ早いクリスマス・シーズン。でも、「欽定訳聖書」などの古典的な英語では、かのコヘレトの言葉三章一節『何事にも時があり…』の「時」をシーズンと訳しています。いっぽう、使徒言行録一章七節のイエスの言葉『父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期』では、「時」がタイム、「時期」がシーズンです(実は、それぞれ複数)そして、ギリシャ語ではタイムは「クロノス」、人が計測できる時刻や時間を示すのに対し、シーズンは「カイロス」、最もふさわしいその時を意味するそうです。とすると、クリスマス・シーズンは一一月や一二月とは限らないことになります。

 では、世びとをこよなく愛される主なる神が、ひとりごを送ろうとお定めになったその最もふさわしい時とは?ペトロの手紙Ⅰの一章二〇節には『キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました』、ヘブライ人への手紙の一章一〜二節にも『神は…この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました』とあります。終わりの時代!旧約聖書は、神は罪ある人を全て死なせることで世を終わらせたと記します。しかし、新約聖書は、神であるイエス御自身が罪ある人全てのために死なれたと告白します。そのイエスが再び世に来られる時、「さあ、こんな戦いや暴力や憎しみはみんなで終わらせようぜ!」と、傷ある両手を差し伸べられることを心に描きます。八月、わたしたちが犯してきた戦争の重い罪を、数々の残酷極まりない所業を思い出す時、なのにまだそれを繰り返している、もういい加減に終わらせたい!と願うこの時こそ、まさにクリスマス委員会が立つにふさわしいシーズンなのかも知れません。