巻頭言「キリストの名によって」加藤 誠

 二〇二四年が明けて元旦から能登半島地震、日航機事故と悲報が続き、心重い日々を過ごしています。大井教会関係で富山や金沢に住んでおられる方々には大きな被災がなかったようですが、穏やかな日常が断ち切られ余震が続く中で不安な時を過ごしておられることと推察します。救援を待っている方々に必要な助けが速やかに届けられ、深い悲しみにある方々に主なる神さまの慰めと支えがありますように心から祈ります。

 実はシンガポール国際日本語教会の私もよく知っている若いメンバーがクリスマス前に交通事故で急逝され、「神さま、なぜ今、彼女を?」と大きな衝撃を受けたばかりでした。改めて、私たちのいのちは「神さまの御手の中に」あり、わたし自身が自由にできるものではないことを知らされます。わたし自身、二九年前の阪神淡路大震災で「命と死は紙一重!」と心に深く刻まれたはずなのに、すっかりその緊張を忘れて、何となしにいつまでも生きられるような錯覚に陥っている自分を問われています。

 「思い悩むな。…何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイ六章)。

 主イエスは「神の国と神の義」への集中を生きられました。「神の国と神の義」に集中する時、私たちの心はやわらかく自由にされ、伸びやかに広げられます。すべてにまさってまず神さまに賛美をささげる時、私たちの心に神さまのあたたかな慈しみが注がれ、神さまの望まれる平和への思いが強めらます。

 ペトロやヨハネたちは、十字架において信仰を粉みじんに砕かれましたが、復活の主イエスから愛とゆるしの祈りを注がれ、この悲しみや不条理が満ちた世界を「それでも天を見上げて生きていく力」を与えられていったのです。