イエス・キリストの福音。それは当時のユダヤ教の「恵み/幸い」を根本からひっくり返したこと。ユダヤ教が「災い/呪い」とレッテル貼りした「重い病気や障がいを持つ人、罪人、聖書を知らぬ民、異教徒」に「神の恵みと幸いはあなたがたと共にある」と言い切り、「わたしもあなたがたと共に歩む」と、ユダヤ教からの非難覚悟で、十字架の死まで共に生きられたこと。神は「このイエスこそ、わたしの愛する子。これに聴け!」と宣言されたのです。
今年のアドベントに『あふれでたのはやさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』(寮美千子)という本と出会い、心揺さぶられました。
「刑務所に入るような人は、がさつで凶暴な人だろう。何を考えているのかわからない恐ろしい人に違いない。漠然とそう思っていた。ところが奈良少年刑務所で出会った少年たちは、まったく違っていた。想像を絶する貧困のなかで育ったり、親から激しい虐待を受けたり、学校でいじめられたり……加害者になる前に被害者であったような子たちだった。それぞれが、自分を守ろうとして、自分なりの鎧を身につけている。」「そんな彼らは、心の扉を固く閉ざしていた。けれども、その鎧を脱ぎ捨て、心の扉を開けたとたん、あふれでてきたのは、やさしさだった。重い罪を犯した人間でも、心の底に眠っているのはやさしさなんだ。ほんとうはだれもが、愛されたいし、愛したい。人間って、いい生き物なんだ。彼らに出会って、わたしはそう確信するようになった。」
自分のことをしっかり受けてくれる「仲間」を見つけた時、少年たちは「自分の本心」を語り出し、やがて「自分が背負うべき責任」を言葉にしていった。まさに、主イエスが「愛の灯」をもって人びとの間でを生きられたことと同じことがここで起こっている…と感じざるを得ませんでした。