巻頭言「アロンがいる、モーセがいる」加藤誠

先日の特別講演会後、大嶋重徳先生と若者のランチタイムでの対話から。

 質問「教会に誘いたいけれど、話しやすい人と苦手な人がいます。どうしたらいいですか?」

 大嶋先生「一つは場数を踏むこと。どんな人も場数を踏むと、鍛えられていく。苦手な人にも話してみて、スベッてみたらいい。スベルのは恥ずかしいけれど場数を踏むことでだんだんできるようになるもの。場数を踏まなければいつまでも苦手のまま。もう一つはチームでやる。教会は個人プレーではなくチームプレーだから。苦手な人がきたら別な人に行ってもらえばいい。あなたの出番だよと。ぜんぶを自分がやらなくていい。アシストに回ればいい。そもそもそうやっていろいろな人のことが見えているあなたは視野が広い人だと思う。それは神さまから与えられた大切な賜物だから、大切にしてほしい。」

 出エジプト記三章で主なる神から召命を受けたモーセが「わたしは何者でしょう」と尻込みすると、主は使命に伴うしるしを次々に見せてモーセを励まします。ところがそれでも「自分は口が重い者です。誰かほかの人を遣わしてください」と泣き言をいうモーセに主はとうとう怒り出します。「あなたには雄弁なアロンという兄がいるではないか。わたしはあなたの口と共にあり、アロンの口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう」。このとき二人はすでに八十歳を超えた「後期高齢者」でしたが、モーセだけでもアロンだけでもなく、互いに互いを必要とする二人のチームによって「出エジプト」という主の御業が導かれていきます。主の業に年齢制限はありません。そして、その働きをチームとして担うことができるよう、主は聖霊を注いでくださるのです。