巻頭言「わたしたちがパン、たべてるとき」広木愛

 我が家の絵本コーナーに、すぐ手に取れるところにある「ぼくがラーメンたべてるとき」。

 ラーメンを食べているぼくのおとなりさんは、何をしているだろうか・・と想像力を膨らましていく作品です。自分の隣の人が一体どういう人なのだろうか、意識してみると、いろんな想像ができるのではないかと思います。今日の礼拝の席のお隣、前後、お名前とお顔は一致していますか。もし知らない人が座っていたら・・知っている人がいつもと違う行動をとっていたら・・そんな意識を私たちはしているでしょうか。

 コリントの教会では、み言葉とパン裂き(主の晩餐)に、加われない人がいた。しかも加われない・・とわかっていても、そのまま集会が進んでいっていて、そのことを知った、パウロが一言、もの申したのだろうと想像します。

 教会は、教会の礼拝に集っている人たちが良ければそれで良い・・というだけの共同体ではない場所だと思います。教会が置かれている場所で、何が必要とされているか、何を地域は教会に求めているだろうかという問いが私たちには与えられているような気がします。

 私たちの礼拝は、パウロさんの語る主の食卓、主の晩餐ができているのか。教会の社会への態度は、主の食卓の意識を持てているのか、そんな問いを、主の晩餐の制定句から問いかけられているように思います。

 わたしたちが礼拝をささげてるとき・・わたしがクリスチャンしてるとき・・神様がおつくりになった世界で何が起こっているのか、想像しながら、この週も過ごして参りたいと思います。