巻頭言「もっとも非力な行いこそ 加藤 誠」

 ミャンマー国軍によるクーデターが起こった翌週から「ミャンマーを覚える祈り会」というオンラインの集まりが始まった。日本バプテスト同盟駒込平和教会の渡邊さゆり牧師の呼びかけによるもので、当初五、六十人だった集まりが今は毎週百人前後の祈り会となっている。新田義貴兄の証しにもあったように、ミャンマーにはバプテストのクリスチャンが多く、日本国内にも在日ミャンマー人の教会がいくつもあり、ミャンマーの信仰の友から届けられる生の声を共有し、学び、励まし合い、祈りを合わせる集まりである。渡邊牧師は言う。「祈りという最も非力な行いこそ、圧倒的な暴力に抗して必死に立ち向かい、何とか非暴力にとどまろうとする人々への最大のアクションであるということを手放したら、わたしはもはや宗教者ではありません」と。

「祈り」は、もっとも非力な行為に見える。あまりに非道な暴力に対して、無力で小さな行為に見える。しかし「御心の天になるごとく、地の上にもなる」ために「祈り」は最大の力である。なぜなら「祈り」は私たちを十字架の主につなげるから。そして「祈り」はさまざまな障壁を超えて、世界中の友と私たちをつなげるから。お金や欲による結びつきは強いようでもろい。利害がずれ始めるとあっという間に崩壊してしまう。けれども「祈り」は困難の中でこそ強い結びつきとなって、私たちを励まし、導く力となる。

「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」(イザヤ56・7)。十字架の主が教えてくださった「祈り」が見せてくれる新しい世界、新しい私たちの関係を希望をもって思い描いていきたい。