巻頭言「なぜ私たちがここにいるのか?」大谷レニー

私たち夫婦はシンガポールに来て八ヶ月になります。最近、大谷牧師は「なぜ私たちがここにいるのか?」としょっちゅう言うので、私は彼のこの質問を「テーマソング」と呼んでいます。 

 私たちの教会IJCSには、名前がどちらもEstherという二人の美しい女性がいます。そのうちの一人のEstherと話をしているとき、エステル記(Esther)で、モルデカイがエステルに言った言葉を思い出しました。「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか?」(四章一四節)。

 「なぜ私たちがここにいるのか?」という質問に対して、私はまだ答えることができません。神様だけがご存知です。しかし、私は神様には計画があって私たちをこのような時のためにここに送られたのだと信じます。

 私がここで二人のEstherやその他のIJCSの素晴らしい人々と出会い、彼らと一緒に礼拝を喜ぶためだったのかも知れません。あるいは、言うことを聞かないIJCSの男の子たちが笑ったり、調子外れの歌を一生懸命歌うのを私が見たり聞いたりしてエンジョイするためだったのかも知れません。あるいは、私がこのようなレニーノートを皆さんと共有し、素晴らしい翻訳に喜び、皆さんの才能を神様に感謝するためだったのかも知れません。あるいはIJCSが自給の道を新たに歩みだすという教会の大転換期にあって、それに伴う苦労を私たちが共にするためだったのかも知れません。…(中略)…エステル記のエステルの役割ほど私の役割が大きいとは思えませんが、「主よ、この時のためにこそ、今日私たちをここに導いてくださってありがとうございます。今日、私が誰かの励みに、そして助けになれるようにしてください」と私は祈ります。

           (『レニー・ノート』#11 二〇一〇年六月一五日より)