二月一四日の夕刻にお訪ねした病室で、大谷レニー先生は口を大きく開けて荒い呼吸をされていた。点滴を外し酸素マスクもしていないレニー先生の冷たくなった手をさすりながら語りかけていると、少しずつその呼吸が静かになった。何かを語ろうとするレニー先生の口元に耳を近づけるけれど、何も聴き取ることができない。「呼吸がかなり弱くなっており、そろそろかもしれません」との看護師さんの言葉を受けて、恵護先生と弟の弘道さんと三人で「いつくしみ深き」「罪ゆるされしこの身をば」「いつも喜んでいなさい」を賛美している最中にレニー先生は静かに息を引き取られた。あとでその最期を「とても自然で、静かで、美しかった」と表現された恵護先生が、レニー先生の顔を抱き、愛を伝え、感謝の言葉を伝えられて、神さまに祈られた。そのあとわたしもまた牧師として祈らせていただいた。九三年の生涯の最期の最後まで、神さまを賛美し礼拝しながら天に召されていったレニー先生だった。
ちょうど六十年前、横浜港に到着したレニー・サンダーソン宣教師は大井バプテスト教会に導かれ、大谷恵護先生と結婚されて、ご夫妻で主に仕え教会に仕えられた。いつも明るい笑顔のレニー先生だったけれど、「トイレがわたしの祈りの場所だった」とポツリとこぼされた言葉が深く残っている。異国の地で異文化を生きる人びとに囲まれて、人知れずたくさんの苦労をされて流された涙があったことだろう。レニー先生はその涙を神さまの前にもっていき、イエスさまの言葉で受けていかれた。先生の聖書に赤く引かれた線。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15章16節)。「なぜわたしはここにいるのか?」と繰り返し神さまの前に問いながら、イエスさまの言葉で立ち、歩み通されたレニー先生の信仰をいま静かに想う。